ダリ展URL

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国立新美術館 企画展示室1E 
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
2016年9月14日(水)~12月12日(月) 毎週火曜日休館
スペインに生まれたサルバドール・ダリ(1904年-89年)は、もっとも有名な20世紀の芸術家の一人です。1929年に彗星のようにパリの美術界に登場し、シュルレアリスムを代表する画家として活躍しますが、やがてアメリカに進出、大きな成功と人気を獲得します。その一方で、映画や演劇、ファッションなどの異分野へも積極的に参画して、ウォルト・ディズニーやエルザ・スキャパレリなどとコラボレーションを行い、次々と著作を発表して、ジャーナリズムやメディアにも盛んに登場しました。芸術と芸術家のあり方を変革したダリは、まさに現代美術の先駆者の一人ということができるでしょう。本展は、ガラ=サルバドール・ダリ財団(フィゲラス)、サルバドール・ダリ美術館(フロリダ州セント・ピーターズバーグ)、国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)という世界の3つの主要なダリ・コレクションから招来される作品を中心に、国内所蔵の重要作品を加えて、約250点によって多面的なダリの世界を紹介する、日本では約10年ぶりとなる本格的な回顧展です。


シュール・レアリズム(超現実主義)ダリの《ポルト・リガトの聖母》【解説】 1950年が観れる!
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the Madonna of Port Lligat(1950)

 鬼才と言われるダリとしては、この作品はイメージを理解しやすい分、僕的には彼らしくない作品のように思える。だが、原爆投下に衝撃を受け妻ガラを聖母として描かれたこの作品は、モデルをガラとした数々の作品の中でも代表作とされている。
 ポルト・リガト(Port LLigat)とは、スペインにある小さな港町の名前で、戦後(1948年)ダリがアメリカから帰国し、ガラと共に過ごした一軒家【Google Map】【Google StreetView】がある。作品の背景に描かれてあるのは、ダリの作品で何度も登場するポルト・リガトの海岸【Google StreetView】。

 ダリの人生において、最愛の妻ミューズ・ガラ。今回はそんな二人の関係について書いてみる。

 
★天才ダリの奇行(伝説含む)
 彼は天才画家としてのパフォーマンスなのか性分なのか、はたまたクレージーなのか、彼を語るに当たってその奇行を語らずにはいられない。
 〇5歳:ダリは友人を橋の壊れたらんかんから川に突き落とし、重症を負わせる。駆けつけた母親が手当てする横で笑顔でサクランボを食べ続けた。
 〇5歳:育てていたコウモリにが死にかけ蟻が群がっていた。彼はその蟻の付いた蝙蝠を口に入れ噛み砕いた。
 〇8歳:わざとおねしょをし、家中に糞便を撒き散らす
 〇父が梅毒の写真を見せてダリを怖がらせた為、それがトラウマとなり去勢不安と性的不安を持つようになる
  「セックスは錯覚だ。一番刺激的なのは、セックスしないことだ」 by ダリ
 〇学生時代:長髪、揉み上げ、口ひげで、コート、ストッキング、ブリーチを身につけていた
 〇学生時代:「音楽より絵画の方が優れているのだ」と、友人のバイオリンを踏み壊す
 〇学生時代:親友フェデリコ・ガルシア・ロルカ(詩人、同性愛者)との性的な誘いかけを拒否(普通です ・_・、)
 〇鉛筆と紙を買いに行くのに、魚屋に行って帰ってきた
 〇作品を持って移動する際、作品をひもで体にくくりつけていた
 〇画家ディエゴ・ベラスケスの影響を受け、トレードマークとなるな口ひげを生やす
 〇リーゼントヘアと称しフランスパンを頭にくくりつけて飛行機から取材陣の前に登場、「フランスパンを頭につけて何が悪い!」
 〇凱旋門に象に乗って登場
 〇ある金持ちの顧客に、100万匹のスズメバチの毒を混ぜた絵具で描いたと偽って、1枚の絵を法外な値段で売り飛ばした
 〇オノ・ヨーコが彼の口髭を1本求めたとき、彼は1万ドルを要求し、お金が支払われると、乾かした草の葉っぱを送りつける。
 〇ペットとしてオセロット(ヒョウ)を飼い、旅行の際もこのオセロットを連れていった
 〇友人たちをランチに招待し、小切手裏に書いた落書きで支払う(ピカソも似たような事やってたな)
 〇独裁者フランシスコ・フランコを支持
 〇自書の宣伝の為、書店に病院用ベッドを持ちこみ横たわり、本を買ったお客にはもれなく、ダリの脳波記録をプレゼント。 
 〇1934「私は面白半分で母の肖像につばを吐くことがある。」と発言し記事となる。父親は激昂、息子を勘当。
 〇1934 アメリカの富豪集団「ソーシャル・レジスタ」主催の、ダリ特別企画「ダリ・ボール(DAli Ball)」で、胸にガラスケースのブラジャーを身に付けて登場
 〇1934 美術コレクター:カレス・クロスビーが開催するニューヨーク仮面舞踏会パーティに、ダリは血塗れの赤ちゃんの死体を模したドレスと帽子でガラと登場し、批判を受ける(リンドバーグ愛児誘拐事件1932)、
 〇1936 ロンドン国際シュールレアリスト展で講演に、潜水服で手にビリヤードのキュー、2匹のロシアン・ウルフハウンドを引き連れて現れる。声が聴衆に聞こえない上、最後は酸欠で倒れる
 〇1955 ソルボンヌ大学での講演会場に、カリフラワーを詰めた真っ白なロールスロイスでやって来る。

 一般人には意味のない奇行だが、天才画家としてはメリットがあったのだろう。ガラのプロデュースもあったという。
 
 「天才になるには天才のふりをすればいい」 by ダリ
 「私は天才を自覚している」 by ダリ
 「私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ。」 by ダリ

 彼が自分を天才と信じたのは、ガラの影響が大きい。ガラは「芸術家を理解・賞賛し、作品を全力で応援して、自信を持たせる」事に天性の才能が有り、それはダリにのみ発揮したわけではなかった。
 彼女はダリの成功の後、若き芸術家を恋人にし関係を持ち続けたと言う。
 一般的価値観からするとガラは悪女・悪妻でしかなかったが、ダリは生涯彼女を愛し、彼女の死後は「自分の人生の舵を失った」と廃人のようになったという。

 「ガラは僕の魔法のランプ」 by ダリ
 「ガラは私を現実から守ってくれる殻である」 by ダリ
 「ガラの存在なしでは私はダリになりえなかった。彼女は私の母であり、私の酸素であった」 by ダリ
 「わたしはガラなしではダリになれない。」 by ダリ
 「彼女はわたしの内密の真実、分身なのであり、わたしと同一人である。」 by ダリ 

2013/05/27 美術史に学ぶ恋愛テクニック「多くの男を虜にしたガラ~魅力的な女性になる方法①~」URL


★年表 ダリ&ガラ
<年表>(クリック)
 ガラが世間的に悪妻であってもダリにとって良妻であったことがよく分かる年表かもしれない。もともとは最初の夫ポール・エリュアールが変に調教したのが原因のような気もするんだけどねw もしくは、当時からガラは男を洗脳する能力があったのかもしれません。


★贋作
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2016/06/24 “わたしはダリ?” ルー大柴のそっくり写真にネットで驚きURL

 フランス行ったときダリのリトグラフは手ごろな価格で小さな店でも売っていた。勿論、真贋を判断できない僕は購入する事はありえない。

2008/09 贋作王ダリ―シュールでスキャンダラスな天才画家の真実Amazon
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〇ダリの作品の75%は贋作
〇1960年代以降の作品はダリの弟子5、6人が描きダリの作品として発表
〇ガラはディズニースタジオのスタッフの一人をスカウトし、「青年ダリ」と呼び数千枚のダリ作品を描かせる
〇ガラの浪費の為、ダリはお金が必要であった。
〇ダリのサインさえあれば高額で取引された
〇アメリカ時代にガラ が1万数千枚の白紙にサインをさせリトグラフの複製を作成
〇セールストークは「ダリは五年以内に死ぬでしょう。死後、この作品の価値は天井を突き抜けます」
〇アシスタント2人がつき、流れ作業でダリが白紙にサイン(約2秒)。一枚40ドル(1960年 $1≒現在円で1,000円以上)で1時間で72,000ドルの収入になることもあった。
〇70年代半ばには病気で鉛筆さえも持てなくなり、ダリの代わりに他人がサイン
〇サイン入り白紙は35万枚という証言もある
〇1980年代にスキャンダルとなり、ダリは弁護士を通して、白紙にサインをし後に印刷はしていないと噂を否定


 ガラはダリを天才にし、ビジネスとしても成功し巨額の富を得た。ガラは悪女・悪妻であったかもしれないが、ダリはガラを死ぬまで愛し、ガラを失ったダリは廃人同様になり晩年は借金まみれだったと言う。ダリとガラは贋作と商業的粗悪品を生み出したかもしれない。しかし、ダリが確立したシュルレアリスムは今も私たちに影響し続けている。



2014/09/27 芸術の秋には高尚なディズニー作品を観賞しよう!~『デスティーノ Destino』URL
2016/09/15 【作品解説】ダリとディズニーの幻のコラボ「ディスティーノ(運命)」URL


参考サイト)☆覚芸術研究室☆URL